「春日野の自然がそのまま庭につながっているよう」

橋本 聖圓(はしもと・しょうえん)

略歴:1935 年、奈良市に生まれる。華厳宗の僧侶。元龍蔵院住職。龍蔵院庭園 の作庭の際に森蘊に出会い、一緒に庭づくりや調査などをした経験もある。著書に『東大寺と華厳の世界』(春秋社、2003年)などがある。
場所:東大寺龍蔵院|日時:2020年12月9日
企画:エマニュエル・マレス
製作:独立行政法人国立文化財機構 奈良文化財研究所


東大寺龍蔵院庭園(非公開)

龍蔵院は大仏殿の北東に位置する、東大寺塔頭寺院のひとつである。明治時代に一度取り壊されたが、戦後間もなく再建された。建物の一部は興福寺一乗院から移築されたもので、庭園は森蘊による新作である。
作庭に先立って、森は橋本聖準住職とその家族を京都に案内し、日本庭園史の基礎知識を伝えると同時に、作庭意図を説明したという。森の計画は、修学院離宮の中御茶屋にみられるような軽快な流れと物静かな池庭の構成と、円通寺庭園に見られるような周辺の自然環境との一体化であった。
龍蔵院庭園を作るために、元興寺から多量の庭石を受け取り、また東大寺食堂の礎石も再利用することができた。このような素材を生かしながら、森は滝の石組、流れ、そして池を設けた。北東から南西への流れや、池の中央にある玉石を敷き詰めた中島と立石は、平安時代の寝殿造系庭園を彷彿させるようなデザインである。
近年、庭への水源は枯れてしまったが、現在でも 雨が降ると池に水が溜まるなど、天候によって庭の 表情が変わる。植栽はアセビ、カシ、マツ、スギ、カエデなど、周辺の春日野に自生する木々を植えて、背後の山とつながるように仕立てた。
長年の日本庭園史研究を踏まえ、森は理想としていた平安時代の寝殿造庭園や浄土式庭園、また近世 の御所や公家などの庭園をイメージして龍蔵院庭園を作りあげた。それに古材料の再利用や自然環境との調和など、森が終生大事にしていた理念をここですでに反映している。

森蘊の言葉

「(前略)内側から見る地形は庭園と建築との総合関係とともに、どことなく修学院離宮下御茶屋の寿月観前庭のあたりに似かよっていて、好ましい条件だと思った。そこで設計図の完成をちょっと待ってもらって、橋本聖準師一家の人たちをさそい、一日初夏の修学院離宮から円通寺あたりを見学しながら、その現地についてあれこれと解説をし、いっぽう東北隅から小滝を落とし、遣水を南から西へまわし、小池をたたえ、山腹山麓には枯山水的の石組みをという私の構想を説明し、ほぼ同意を得ることができた。この見学の効果はてきめん、東側の傾斜面のすそに沿って渓流を走らせ、 水辺に石を畳むという計画におおいに共鳴された橋本師は、さっそくその翌日から観音山から湧き出る清流を、ヒューム管で庭内に引き寄せるという準備工作に邁進さるなど、たいへんな張りきりようであった。」
森蘊『庭ひとすじ』学生社 1973年(182-83頁)