昭和の作庭記
—森蘊の足跡を辿る—

森蘊という人はご存知ですか?

ご存知ない方はまずその名前の読み方に悩まされるでしょう。蘊蓄の「蘊(うん)」と書いて「おさむ」と読みます。エンジュの木の花が「蘊々」と咲き乱れる8月8日に生まれたことから命名されたようです。

森蘊は1905年、東京都立川市に生まれました。森家の6男で、兄たちも順番に秀、喬、禎、榮、實と、みな一文字の名前でした。父親の慎一郎は埼玉県の坂戸神社の次男で、東京府立第二中学校校長(現・東京都立立川高等学校)や東京高等師範学校校長(現・筑波大学)などを歴任しました。兄たちもまた大学の学長、外交官、教授、社長など、社会の要職につきました。

このような環境で生まれ育った森はなぜか、日本庭園の研究に没頭することになりました。1928年(23歳)に東京帝国大学の農学部に入学し、造園や建築の歴史などを勉強しはじめます。学生時代は、春休みや夏休みを使って、江戸時代に出版された『名所図絵』を片手に関西の庭園を巡り、深い感銘を受けたという。しかし、研究対象にしたのは、見た目が綺麗で常に手入れが行き届いているような名園ではなく、古代の庭園遺跡でした。

1932年(27歳)に大学を卒業してから20年ほどの間、森は職場を転々としました。厚生省の技師として国立公園の調査をしたり、または東京都井之頭恩賜公園自然文化園の園長になったりしました。戦前・戦中・戦後という混乱の時代ではありましたが、森は庭園史学への関心を失うどころか、独学で平安時代庭園の研究を深め、学術書にその成果をまとめた。
1952年(47歳)、森は奈良文化財研究所の建造物研究室の室長になります。それでようやく庭園史学の探求に没頭することができ、桂離宮や修学院離宮の研究をはじめ、全国の歴史的な庭園の測量に力を注ぎました。しかし、当時の一般的な庭園測量図と異なり、森の「地形測量図」には植物が省略されています。庭園の立地環境と水系をあきらかにするため、広範囲にレベル測量を行ない、厳密に等高線を描き、石と建造物とのを相互関係を立体的に表現しました。

1967年(62歳)、奈良文化財研究所を退官して、京都大学農学部の講師であった村岡正とともに「庭園文化研究所」を設立しました。それ以降は実測調査のみならず、古庭園の発掘・復元・整備の事業を指導することになりました。京都では法金剛院や浄瑠璃寺、奈良では旧大乗院や円成寺、平泉では毛越寺や観自在王院などの歴史的な庭園の発掘と整備に尽力しました。

簡単にまとめると、森は現代の日本庭園史学の基盤を築いた人です。現在の文化財修理では当たり前のように実施されていますが、徹底的な文献資料の分析、精密な現地調査と測量図の作成、そして発掘調査の成果を照合した「復原的研究」という方法論は森が確立させたものです。

しかし、この偉大な業績の陰に隠れ、森の作庭活動はこれまで見落とされてきました。じつは、森にとって庭園史研究と作庭とは表裏一体、切っても切れないものでした。大学院生の頃にすでに挑戦したそうです。奈良に移住してからは唐招提寺、東大寺、法華寺など市内の主要な寺院をはじめ、全国の社寺、公園、料亭、学校、個人宅などで庭を作りました。「私の庭園史研究は、歴史のための歴史研究であるより、これからの庭園意匠の在り方を考える参考資料の収集と整理」のためであると書き記すほど、森にとって作庭は単なる副業ではなく、日本庭園史研究という本業の自然な延長線上にあったのです。

現在、森が残した資料は奈良文化財研究所に保管されています。図面、スケッチ、原稿、書簡、メモ、写真などと多種多様ですが、2019年3月28日にその整理が一段落して、「森蘊旧蔵資料」の目録が研究所のホームページで公開されました。日本庭園研究史、人物史のための貴重な参考資料になると思われます。

https://www.nabunken.go.jp/research/moriosamu.html

私は森の足跡を辿ろうと思い、2010年頃から研究を始めました。2020年3月19日に『森蘊研究報告書 昭和の作庭記―森蘊の業績と日本庭園史の作成』(綴水社)を出版しました。多岐にわたる森蘊の業績を理解するために、研究者、作庭家、庭の持ち主など、多くの方々の観点を紹介しました。最後には可能なかぎり諸資料にあたって詳細な年表を掲載しました。

2021年の夏には、京都産業大学ギャラリーでは「京都の庭を守ったひとたち―森蘊と法金剛院―」、また奈良の平城宮跡資料館では「奈良を測る―森蘊の庭園研究と作庭―」という展示が開催され、「森蘊旧蔵資料」の図面やスケッチ、原稿や古写真などが初めて公開されました。両展示は一冊の図録『森蘊の世界―奈良・平安の庭を求めて』にまとめられました。

このホームページでは、これまでの研究の一部を紹介するために、映像作家の澤崎賢一と一緒に撮影したインタビューを提供します。森のもとで働いていた作庭家、または森がつくった庭の施主などの記録映像です。彼らは森蘊の生きている記憶というか、最後の証人になります。声、表情、振る舞い、また現場の雰囲気など、紙媒体では表現できないライブ感を伝えようとしました。

このホームページは今後の庭園研究のためになれば何よりです。

マレス・エマニュエル
京都産業大学 准教授

注:以上は著者が2017年4月3日に奈文研ブログ『コラム作寶樓』に発表した文章を加筆・修正したものです。

『庭ひとすじ』の人 -森蘊先生の思い出-



「はじめに+目次+編集後記のPDF」のダウンロード(PDF, 3.8MB)

著者 「槐の会」(森先生を囲む会)
編者 エマニュエル・マレス
発行所 綴水社

森蘊の世界―奈良・平安の庭を求めて



2021年6月発行
企画編集:エマニュエル・マレス(京都産業大学)/高橋知奈津(奈良文化財研究所)
発行所 奈良文化財研究所

※お買い求めになる方は下記のリンクより(定価:800円)
https://www.book61.co.jp/book.php/N90471

森蘊研究報告書
昭和の作庭記―森蘊の業績と日本庭園史の作成



森蘊研究報告書のダウンロード(PDF, 14.4MB)

2020年3月発行
編者 マレス・エマニュエル
発行所 綴水社

※この報告書は「森蘊の業績と日本庭園史の作成―歴史的庭園のデータベース作成」(若手研究B)/課題番号(17K18447)という科学研究費助成事業により支援された研究成果で、非売品です。
本HPにてPDFデータを提供します。ご自由にダウンロードしてください。
部数に限りがございますが、出版物もありますのでご興味のある方は編者にご連絡ください。

奈良女子大学・根本研究室との共同研究
「奈良の庭と森蘊の系譜」



共同研究「奈良の庭と森蘊の系譜」報告書ページへ

2022年発行
企画:奈良女子大学 生活環境学部住環境学科 根本哲夫
   京都産業大学 文化学部京都文化学科 エマニュエル・マレス

森蘊を語る
インタビューの記録映像

橋本 聖圓(はしもと・しょうえん)

略歴:1935 年、奈良市に生まれる。華厳宗の僧侶。元龍蔵院住職。龍蔵院庭園 の作庭の際に森蘊に出会い、一緒に庭づくりや調査などをした経験もある。著書に『東大寺と華厳の世界』(春秋社、2003年)などがある。
場所:東大寺龍蔵院|日時:2020年12月9日
企画:エマニュエル・マレス
製作:独立行政法人国立文化財機構 奈良文化財研究所

インタビュー映像と記事

徳村 盛市(とくむら・せいいち)

略歴:1948年、京都市に生まれる。造園家、庭師。同志社大学卒業後、森蘊に師事。森蘊とともに、文化財に指定された庭園の復元整備事業に携わると同時に、森蘊の作庭活動を支えてきた。現在は庭匠植清代表。2015年12月に文化庁長官表彰、2018年3月に黄綬褒章を受章した。
場所:奈良市忍辱山町 円成寺|日時:2018年6月5日

インタビュー映像と記事

山中 功(やまなか・いさお)

略歴:1944年、奈良に生まれる。造園家、庭師。1962年に森蘊と出会い、1970年4月より庭園文化研究所所員となる。1980年10月から山中庭園研究所を設立し、作庭のほかに、古庭園の実測や復元整備にたずわる。2017年12月に文化庁長官表彰を受賞。
場所:奈良市柳生町 旧柳生陣屋跡|日時:2018年4月4日
場所:奈良県大和郡山市 松尾寺|日時:2018年4月4日

インタビュー映像と記事

古川 三盛(ふるかわ・みつもり)

略歴:1943年、福岡県北九州市に生まれる。作庭家。北九州市・菅原清風園、京都・徳村造園に勤務ののち、1970年に独立。主に森蘊の作庭に従事。主な著書に『庭の憂』〔善本社、1997〕のほか、雑誌「庭」「銀華」「チルチンびと」など連載多数。
場所:郡山市矢田町 矢田寺大門坊露地|日時:2017年10月4日
場所:大阪府河内長野市神ガ丘 延命寺|日時:2017年10月20日

インタビュー映像と記事

牧岡 一生(まきおか・かずお)

略歴:1945年、福井県に生まれる。造園家、庭師。1970年に近畿大学卒業し、1975年より12年間、作業部隊の一人として森蘊に師事。1980年に森蘊と小山潔と一緒にドイツに渡り、フランクフルトのバルメンガルテン日本庭園展に参加して以来、ドイツ、イタリア、フィンランドなどヨロッパと日本で庭づくりを行なう。現在は国指定名勝の依水園や法華寺庭園の維持管理など、奈良を中心に活躍している。
場所:橿原市 橿原神宮文華殿|日時:2017年10月26日
場所:奈良市六条1丁目 森蘊庭園研究室(旧宅)|日時:2017年10月26日

インタビュー映像と記事

完成版の記録映像『昭和の作庭記 —森蘊の足跡を辿る—』(57分、2019年制作)

森蘊の指導のもとで働いた4名の庭師(徳村盛市氏・山中功氏・古川三盛氏・牧岡一生氏)へのインタビューをまとめた記録映像です。

企画・制作:エマニュエル・マレス
撮影・編集:澤崎賢一
制作:一般社団法人リビング・モンタージュ https://livingmontage.com/
出演:エマニュエル・マレス、徳村盛市、古川三盛、牧岡一生、山中功
謝辞:円成寺、延命寺、橿原神宮、独立法人国立文化財機構 奈良文化財研究所研究所、矢田寺
助成:日本学術振興会(若手研究B)/課題番号(17K18447)

これまでの上映

2021年9月22日 京都府立 京都学・歴彩館 京の映像上映会
会場:京都府立 京都学・歴彩館(京都市左京区下鴨半木町)
   https://rekisaikan.jp/news/post-news/post-6762/
2021年8月7日〜9月12日 平城宮跡資料館 令和3年度 夏期企画展「奈良を測る―森蘊の庭園研究と作庭」
会場:平城宮跡資料館(奈良県奈良市二条町)
   https://www.nabunken.go.jp/heijo/museum/kikaku/se20210807.html
2021年6月1日〜7月17日 第22回企画展「京都の庭を守った人たち 森蘊と法金剛院」
会場:京都産業大学ギャラリー(京都市下京区中堂寺命婦町)
   https://www.kyoto-su.ac.jp/events/20210224_869_mori.html
2020年12月16日〜2021年5月31日 「森蘊の業績と京都の庭園(パネル展示)」
会場:京都市中京区丸太町七本松西入ル
   京都アスニー(京都市生涯学習総合センター)1階
   http://web.kyoto-inet.or.jp/org/asny1/souseikan/kikaku.html
2019年10月6日 名勝大乗院庭園文化館事業 第7回庭園研究講座(奈良市高畑町)
2019年7月20日 文化財庭園保存技術者協議会総会・研修会
京都アスニー4F ホール(京都市中京区聚楽廻松下町)


上映会の企画などに関してはマレス・エマニュエルまでご連絡ください。

Emmanuel Marès
マレス・エマニュエル

略歴: 1978年、フランスに生まれる。2006年に京都工芸繊維大学で博士後期課程を修了する。工学博士。専門は日本建築史、日本庭園史。総合地球環境学研究所、奈良文化財研究所等を経て現在は京都産業大学文化学部京都文化学科准教授。日本庭園学会理事。
大学院時代に作庭家・古川三盛氏のもとでアルバイトをしたのがきっかけとなり、森蘊と日本庭園史学に興味をもち始める。2010年頃から森蘊の業績に焦点を当てて本格的に研究を開始。日本庭園史学の研究を通して、日仏の庭園文化交流にも尽力している。

連絡先:maresema★cc.kyoto-su.ac.jp(★の代わりに@を入れてください)

リンク:
ドキュメンタリー映画『動いている庭』 ※企画・制作
https://www.projetsdepaysage.fr/kobori_enshu_deux_biographies_une_legende
http://meguru.nara-kankou.or.jp/inori/special/12teien/
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgarden/2014/28/2014_28_11/_article/-char/ja

森蘊に関する著作など:
「奈良市における森蘊の作庭活動」『奈良における庭園の総合的調査』奈良文化財研究所 2022年発行予定

(共編著)『森蘊の世界―奈良・平安の庭を求めて』奈良文化財研究所2021年(高橋知奈津との共編著)

(編著)『森蘊研究報告書 昭和の作庭記―森蘊の業績と日本庭園史の作成』綴水社 2020年

(共著)「日本近現代の歴史的庭園の調査・保存・修理を巡る状況からみた森蘊の評価」『日本庭園学会誌』(粟野隆との共著)2020年

The Bridge: Iconic symbol of Japanese Gardens Inside and Outside Japan. The Journal of the North American Japanese Garden Association, No.6, 15-21. 2019

「歴史的な庭園の復元 ― 森蘊の「復原的研究」を通して」海野聡(編) 『文化遺産と〈復元学〉』吉川弘文館165- 208頁 2019年

「日本庭園とグリーンインフラ 相反か、相補性か」 菊地直樹・上野裕介(編) 『グリーンインフラによる都市景観の 創造 金沢からの「問い」』 公人の友社 74-86頁 2019年

「日本庭園史話」 『コラム作寶樓』(奈文研ブログ) 2017年4月3日

「奈良の庭園をめぐる」 『祈りの回廊』(監修) 奈良県 2017年3月

「小堀遠州の庭 歴史と伝説の合間から」 『野村美術館研究紀要』 第26号、 54-70頁 2017年3月

「妙蓮寺玉龍院庭園から唐招提寺東室庭園への庭園移転 森蘊による庭園遺構の移転復元」 『日本庭園学会誌』 31号、 29-36頁 2017年3月

「森蘊 庭園史研究と作庭は表裏一体」 『庭NIWA』 225号、44-47頁 2016年11月

『縁側から庭へ フランスからの京都回顧録』 あいり出版 2014年

「重森三玲と森蘊の庭園観 小堀遠州の伝記を通して」 『日本庭園学会誌』 第28号、11-21頁 2014年3月

「時の香り 時代を感じさせる庭」 『人と自然 香をめぐる人と自然』 7号、 26-27頁 2014年3月

「日本庭園史と森蘊の業績 毛越寺庭園の復元・整備を通して」 『奈良文化財研究所紀要』 38-39頁 2013 年6月

Kobori Enshū: deux livres, une légende (小堀遠州 二つの伝記、一つの伝説)Projets de Paysage(風景のデザイン) フランス・ランドスケープ高等学校の電子ジャーナル2012年7月